November 21, 2006

不思議なものがわからない子供たち(2)

不思議なものがわからない子供たち(2)


自然科学の原点は「不思議を発見すること」から始まります。

不思議なことは教えてもらうものではなく、個々人が感じるもの
ではないでしょうか。

そういう面からすれば、動物園や植物園、博物館は不思議の宝庫と
いっていいでしょう。

 
先日生徒たちを連れて動物園に行ってきましたが、
そこで色々と考えさせられました。

動物園に行っても、子どもたちは説明文を読んで、それぞれの動物や
展示物を見ながら素通りしていくだけなのです。

それでは自然科学への探究心は育ちません。


「不思議なことはないかな」という意識で自然界を見ると、
必ず不思議なことが見えてきます。

そうして、その回答を考える。何十通りの答えが出てくる。
実はその中から新発見が現れるのではないでしょうか。


ところが、今の子どもには、疑問を発する力がない。
疑問を持つ心、疑問を持つ感性を育てていく必要があると思います。

「よくその疑問を持つことが出来たね」とほめてあげる。
しかし、答えを教えてはいけない。

答えは子どもたちが自ら考える。

これは時間がかかりますが、非常に大切なことです。
ただ、現在は、その考える時間を惜しんでいるところに問題がある
のではないでしょうか。


最近、キレル大人、子どもが多い。

その原因は家庭、社会を含めた教育にあるのは間違いありません。
情操教育の欠如も要因の一つですが、画一教育も問題です。


画一教育の目的は、人間を一つの型にはめようとするところにあ
ります。
小中高校すべて、決められた時間内に学習しなければ駄目という
方針です。

決められた時間内で、教えられた公式を使っていかにたくさんの
問題を解くことができます。

したがって、分からない問題を自ら何時間も考えて解くという
仕組みになっていません。


これでは持久力、集中力、忍耐力は育ちません。

昔は公式を知らなくても、時間をかけて何とか問題を解いた
ものですが、今はそのようにさせてくれる教育者が少ない。


そして記憶力のいい子だけが評価される。

そうした歪んだ教育体制が、社会の歪みを生む結果になっている
のではないでしょうか。

                         真の家庭より


確かに最近はすぐ切れる子供が多いと感じます。
それに無関心・無気力な子供も目立ちます。

なかには夢と希望をもっている子供もいますが、
打算的というか・・・。

昔は同級生のなかに必ずといっていいほど「変わり者」
というと語弊がありますが、人と同じがいやという子供は
いたものですが、最近はみられません。

おなじようにような子供が多いように思います。
つまり、個性がなくなっているということでしょうか。

今の総理の教育改革に期待したいと思うのはわたしだけでしょうか。

yoyonet at 10:59コメント(0)  この記事をクリップ!
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